院長 医学博士:青木文彦
昭和48年より、40年以上この地で開業しています。
開業当時はレントゲン写真はデジタルではなく、赤黒いランプの暗室でフィルムを手で現像液につけていました。小さかった娘がしょっちゅう診察室に出没していましたが、暗室に一緒に入ってくることもありました。「暗くて何にも見えない!お化け屋敷みたい!」などと言っていました。その後自動現像機が導入され現像は機械にお任せとなり、さらに近年はデジタル化されたので現像液は不要となり、フィルムを遮光する必要もなくなりました。当時は白血球分画も自分で耳朶採血からストリッヒをひき、顕微鏡で見ながら分画計測専用のタイプライターで自らカウントしていました。今は検査センターで機械計測したデーターを至急時はFaxで送ってもらえますし、院内で自動計測する機械も色々進歩しているようで、あらゆる作業にパソコンが入り、隔世の感があります。便利な時代になったものですが、一抹の淋しさも感じます。
開業したての頃は診療を終えてから東大医科学研究所に通い、蛍光抗体染色の実験をしておりました。また、慈恵医大附属病院で新生児が重症黄疸になると、小児科血液班がかけつけて緊急交換輸血を行っていたので、私も医科研から帰宅後に夜中に呼び出されて、新橋の本院に行くことがしばしばでした。若かったためか体力的につらいと思ったことはなく、懐かしい、楽しい思い出です。
小児科を中心として長年の経験を活かし、地域の相談役として幅広い診療を行っております。4世代に渡り家族で来院して下さる方もあります。赤ちゃんからお年寄りまで、かかりつけ医として何でも相談して下さい。必要に応じて地域中核病院・大学病院にも紹介しています。
医師会副会長の頃
【院長略歴】
県立長野高校卒業 | |
東京慈恵会医科大学卒業 | |
同大学小児科学教室入局(血液研究室) | |
国立大蔵病院(現 国立成育医療センター)小児科勤務 |
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昭和43年 | 父他界により青木小児科医院を引継ぎ開業 |
昭和45年より | 東京大学医科学研究所免疫学教室にて小児骨髄巨核球の免疫血液学的研究に従事 |
昭和48年 | 上記研究に対し岡副 哲 賞受賞 |
昭和49年 | 医学博士号取得 |
武蔵野市立 境幼稚園・境南保育園 園医 | |
武蔵野市立 桜堤小学校 校医 | |
武蔵野市医師会 成人保健部理事・副会長・会長 | |
武蔵野市立 境こども園 園医 | |
現在に至る |